|
スポンサーサイト
|
|
--/--/--(--)
|
|
|
|
がいあつ
|
|
2012/04/04(Wed)
|
|
留学生活で少し違和感を感じるのは、
死に物狂いで頑張るはずに来たと思っていたのに、 なんだか余暇を過ごしに来たと思えることがよくあること。 まぁ確かに自分自身で過ごす時間が日本にいるときに比べて多いし、 勉強も大抵自分のペースでやっているから、自由時間が多いように感じるのかもしれない。 イギリスの、私がすんでいる街の流れは、東京にいたときよりもよっぽど緩やかで、 もともと自己管理が苦手な私は、急ぐことや、焦ることをよく忘れてしまう。 でもなんだか自分自身がずっと軽く感じるのは、 外からのプレッシャーがほとんどないからなのかもしれない。 就職のことを考えると確かに気が重くなるけれど、 それも自分のペースで自分に合ったところを見つければいいかって ここにいる時点では考えている。 いつも私が日本にいるとき感じていたプレッシャーは、確かに私自身が自分に課していたもので、 周りの誰もそこまで私に対して抱いていない期待を、ただ被害妄想的に感じ取っていただけだ。 だから、人から押し付けられたものでは決してないと思う。 それでも日本にいると、言葉の裏を読み取らなければいけない社会だから、 妙に勘繰ることばかり上手くなるし、 長い間お世話になったたくさんの人の顔を立てたいという気もあったことは確か。 でも1人でイギリスに来て、良い意味か悪い意味か分からないけれど、 私が出した結果は、大抵私自身にしか響かないから、外圧というものがほとんどなくなってしまった。 一番結果が目に見えて現れる勉強についても、 自分が良い成績を取ったからといって、きっと誰に褒められるわけでもないし、 博士課程や直接の海外での就職を考えていない私には、それはほとんど自己満足。 もちろん、だからといって手を抜こうという気は全然ないけど、 自分との比較対象もあまりいないし、一番の心配は締め切りに間に合うかという時間との闘いだ。 最近始めたボランティアも、あくまでボランティアは空いた時間にやるものという意識が 私の中にあるせいで、プレッシャーとはまた違う。 責任を負うのが昔から嫌いだった。 適当にやって放り投げられないからこそ、 最初から自分が出来る範囲の責任しか負わない。 今が幸せなんだろうか。 思いっきりでかいプレッシャーを背負って、絶対に結果を出さなきゃいけないような状況よりも、 マイペースに自分が出来る範囲を徐々に広げていくことの方が自分に合っているような気がする。 それなのに、私が頑張っていたときのことを思い出そうとして出てくるのは、 人間関係に悩んで、練習にいくのが憂鬱だったりしながら、 上手くなりたいと、みんなで力を合わせて良いものにしたいと プレッシャーに押しつぶされそうになりながら、がむしゃらに進んでいた日々のこと。 そしてそれを途中で諦めてしまったことをたまにものすごく後悔する。 目の前に自分が中にいたかもしれなかったキラキラしたものを目にすると 刹那的に胸の奥がぎゅーってする。 何が幸せかなんてまだ分からない。 プレッシャーがないことは、のんびりすることは、楽だけど、 でもその時間はあっという間に過ぎて、何も残らないかもしれない。 どんなに苦しくても外圧も大切なんだなと。 自分を収縮させるためではなく、自分を押し出すために。 人のために努力出来る自分は、きっと自分のためにしか頑張れない自分よりもきっと強い。 |
|
がんばる
|
|
2012/03/05(Mon)
|
|
「頑張る」とはなんだろう。
それがとても主観的な動詞であることは知っている。 私はすごく頑張っている、そう思えたことって人生でどれくらいあるんだろう。 私が今過ごしている日々も、未来になって思い返せばあのときは頑張ったと思えるかもしれない。 でもなんだか今の私は、「すごく頑張っている」という同じように留学している友達の言葉に、 なんだか気後れを感じて、頑張れていない自分に焦っている。 どうして私の周りにはそんなに「すごく頑張ることが出来る」人がそんなにたくさんいるんだろうか。 それって人間が当たり前に持つ才能なのかな。 私の努力が足りないだけなのかな。 「頑張る」の基準が違うだけなのかな。 「頑張る」ということは私にとって、自分を限界に追い込んで、苦しくて、それでも充実感を感じて前に進んでいくようなそんなイメージ。 今の私はまったく自分を限界に追い込んでいないし、楽をして、ただ考えて、自分の殻にこもっている、そんな感じ。これはかなり悲観的な見方であって、もちろんそうでない部分もたくさんあると思うけど、とにかく私の頑張るのイメージからはかなり遠いわけです。 色々首を突っ込んでみるけど、いつもそこで終わってしまうのがダメなところ。 そこでどう人と関わって、動かして、良い方向に持っていけるかが一番大切なのに。 今日出会った言葉。 「もしこの世界に賞賛も批判もないとしたら、あなたはどういう人になりたいですか? この質問に答えられれば、あなたはすべてわかっている。」 でも私にはこれは少し間違っているように思える。 賞賛も批判もない世の中でなりたいものなんて結構簡単に思い浮かぶ気がする。 それは正直、賞賛や批判があっても何も変わらない。 むしろ私はもっと簡単にそれを手に出来るんじゃないかな。 ただ、今の私は人の目(賞賛や批判)を気にしながら、大きな社会の中でどう立ち回るかを考えなきゃいけないから、世の中が複雑でわけの分からないものに見えてしまう。 就活でどうやってこの留学生活を生かせるかなんて考えなくて済めば、もっと自分のやりたいことを追求することが出来るのに。 本当の答えはきっと一番シンプルな形で、ずっとそこに存在しているはずのに。 頑張るということは超主観的な動詞であるはずのに、 その基準を周りに持っていこうとするからおかしくなってるだけなのか。 それとも私は主観的にも客観的にも「頑張る」状態には達していないのか。 もやもや。 |
|
きょうかん
|
|
2012/02/26(Sun)
|
|
なんだかこちらに来て、少しだけ隠すのが上手くなったはずの人見知り度が後退した気がする。
元から人数が多ければ多いほど話すことに臆病になるのは変わらないけど、 なんだかね、もっと精神的な問題。 私が誰かと一緒にいて、話しやすいと思う相手の共通点を考えると、 それはまず始めに共感してくれる人だ。 この人にはどんな話をしても間違いなく、まず始めに「そうだよね。」「分かるよ。」って言ってくれると確信を持てる人。 自分のやり方、考え方を無条件に全部受け入れて欲しいわけじゃない。 その後に全く違う意見や、否定を受けたって構わない。 それでもとにかく最初に「そうだよね。」って形だけでもいいから受け入れてくれる人。 私の考えをはねつけるのではなく、そこにクッションを置いてくれる人。 私がストレスなく一緒にいられる人ってどこに行っても、そんな人だなぁと思う。 ここに来て人見知りが激しくなったのは、決してそうじゃない人が多いからってわけではないと思う。 みんなディスカッションのときは、私のつたない英語に対して 日本にいるとき以上に熱心に聞く耳を持ってくれるし、 適切なアドバイスをくれる。 それでも、私はどこに行ったって大人数の前で話すのが苦手なのは変わらないし、 バッググラウンドの違いによる恐怖も少なからずある。 自分と違うという恐怖よりも、自分が理解されない、自分を伝えられない恐怖の方が大きいのかもしれない。 人見知り問題に一時はすごく焦っていたけど、最近少し落ち着いたのは、 自分にとって居心地のいい人を見つけたからと、 勉強だけじゃない色々なことに対する予定が増えたからかもしれないな。 予定を詰めることによって、活気づく人間なのだということを最近再認識している。 自分の中でそういう意識が強いからだろうか、 人と話すとき、私は「確かに」とか「そうだよね」を言葉の語幹のように使うことが多い気がする。 相手に話しやすい雰囲気を作るというよりは、自分が嫌われたくない防衛意識の方が強いと思うけど、 今まであんまり意識したことがなかったな。 大勢の場にいるときは大抵私は聞き役だけど、 仲の良い友達といるときは私はその子よりもしゃべることが多いかもしれない。 何を喋っても許される安心感って絶大。 決して友達は多くはないけど、どこに言ってもそういう居心地のいい人を見つけられるのは、 本当に素敵なことで、恵まれていることだと感謝。 |
|
ひとごと。
|
|
2012/02/21(Tue)
|
|
最近ぼんやりと他人事のように感じてるけど、就活について考え始めた。
私はどこに行きたいのか、何になりたいのか。 最終的な目的はなんとなく見えているような気がするけど、 この次のステップを踏み出すためにどこに行けばいいのか、まだ見えていない。 ほんとは少しだけやりたいことが見えているけれど、 というか次にここに行くのがきっと合理的だろうと思うようなことがあるけれど、 これ以上両親に迷惑をかけたくないからそれはあまり見ないようにしている。 でもそれにしても、遠いイギリスにいるせいか、日本での就活は本当に他人事のような気分。 これまでこっちに来てから暗い記事ばかり書いてきたけど、 どんなに悔しくても、どんなに悲しくても、 今自分がここに立っていることは決して後悔してない。 あのまま就活を続けなくてよかったと本当に思う。 確かに自分のことは嫌いだし、 こっちに来て私は全然死に物狂いで頑張れていない。 でも私は日本では目に出来なかったたくさんのものに触れられるし、 自分が勉強したかったことについての知識も決して十分ではないけれど、それなりに増えて、 世界は確実に広がった。 私がこんなに悔しいのは、 自分が出来ていないと思うのは、 ここに可能性がありすぎるから。 出来るはずなのに出来ていないことがありすぎるから。 でも結局私は虚栄心はあっても競争心なんてまるでなくて、 自分より出来る人に嫉妬することはあっても、そこで頑張って勝とうなんて気持ちはあんまりない。 むしろ自分がその人よりも下でいても良い理由を探して、落ち着こうとする。 でも私はとりあえず誰よりも私に勝ちたくて、私に認めて欲しくて、頑張ってる。 なんだかなぁ。 そんな自分嫌なんだけど、変えようとしたってそういう性格的な部分変えられない気もする。 何が出来るかな。 何がしたいのかな。 不安だけど、憂鬱だけど、それでもわくわくもする。 まだ可能性はいっぱいあるんだなって。 大人になったら夢はなくなっていくものだというけど、 最近それは少し逆な気もする。 大人になって色んなことを知れば知るほど、夢は広がっていく。 やりたいことは増えていくから。 惑わされずにマイペースに。 自分に対してもう少し叱咤激励しながら進んでいきましょう。 |
|
いわかん
|
|
2012/02/16(Thu)
|
|
何もかもがうまくいかなくて、
大変なことが山積みで、 それでも逃げるという選択肢が死ぬことくらいしか思い浮かばないのは、 きっと社会に、そしてそこにいる人に、あまりに執着しているから。 すべてを投げ捨てるのは、きっと思ったより簡単。 ただ授業を休めばいい。引きこもればいい。 きっと私を止める人はいない。 一旦落下を始めたら、きっと驚くほど早く加速する。 でも正常を装った私が言う。 「それでその後どうするの?」 私は孤独になんて耐えられない。 人から嘲笑されるのも耐えられない。 壁の向こうから聞こえる楽しそうな笑い声を、部屋の中でそっと独りで聴くなんて耐えられない。 それが分かっているから、私はここに踏みとどまっている。 でも悔しさを跳ね返すようなバネも、 その重荷を押して前に進む元気も、 今は足りていなくて、 ただ時間が過ぎるのを待ちながら、時間が進んでいくことに焦っている。 頑張らなきゃ、と私は言う。 頑張れ、と誰かは言う。 それは筋が通っているのです。間違いなく。 違和感を感じる方がおかしいのです。 強く強く強くなりたい。 自信が欲しい。 願いはそれだけなのに。 掴もうと思っても捕まらない。 待っててもそれはやってこない。 寂しいなんていいたくないの。 弱い自分なんて嫌いなの。 でもほんとはただ逃げたくて仕方がない。 どこに逃げればいいかなんて分からないのに。 |



